富山駅前 うどんの「鶴喜」ご存知ですか?

2020.06.27

社長の小池です。

 

社長ブログでは珍しいグルメ系のブログです。

皆さんは富山駅前のうどん専門店「鶴喜」をご存知ですか?

先日、久しぶりに夫婦でうどんを食べに行ったのですが、いろんな思い出がよぎりブログとなりました。

 

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私が「鶴喜」に行き始めたのが大学時代、いまから50年程前になります。

大変長い間、お世話になっております。

お店の外観・内装共に50年前と一切変わっていません。

今も老舗の風格があり、変わらない事の大事さも感じる次第です。

 

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50年前と言えば、今では当たり前の外食産業も勃興期。

外食と言えば、

駅前では「まると」(当時の富山駅のビルの呼び名)の食堂や、

西町/大和デパートの大食堂が外食の定番。

醤油系ラーメンの「大喜のラーメン」や「柳の下のラーメン」はありましたが、

味噌ラーメンなる物の味を、駅前七越ラーメンで初めて知った時代です。

 

当時、うどんと言えば、自宅で乾麺をお湯で戻して食した記憶がありますが、

店内でうどんをうって、それを食べる形式にビックリ!

そして、こしのあるツルツル食感は、天地がひっくり返るような美味さがありました。

 

学生時代に、東京の下宿で夢に「鶴喜のうどん」が出てきた記憶があります。

又、帰省した折には自宅に帰る前に「鶴喜のうどん」を先ず食べたとういう知人もいました。

今の人には想像もつかないでしょうが、50年前の我が夫婦にとって「鶴喜」は美食の殿堂でした。

 

 

夫婦で食べに行った日は初夏の暑い日で、周りは殆ど「天ざるうどん」を注文されていましたが、

どうも年を取ると夏でも暖かいものが欲しくなり「天ぷらうどん」になりました。

 

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昔と変わらぬ美味しさとボリュームに「ごちそうさま」です!!(価格は950円税込み)

こうして、昔懐かしい味に出会えることは幸せです。

私が行き始めた頃とはお店のご主人の世代も変わっているかと思いますが、

これからもこの味を続けて欲しいと願いました。

 

『鶴喜』の思い出

エピソード1:路上駐車で鶴喜にGO

「鶴喜」前の道路を隔てて北側に「富山警察署」がありました。(現在は移転)

車で食べに来る人は、30年程前は、富山警察署裏ではありましたが、堂々と路上駐車で車を停めて食べに行きました。

世の中も、警察も、おおらかな時代であったように思います。

その後は「路上駐車はご遠慮ください」となり、みなさん近隣の駐車場に車を停めてから来店されています。

 

エピソード2:かっては「そば」メニューもありました

「鶴喜」では、かって「そば」も食べれました。

このおそばも絶品で、いつも「うどん」にするか「そば」にするか悩んがものです。

家族で行ったときは、我が家のルール「美味しいものは回し食い」で、うどんとそばをシェアしたものです。

コロナの時代では、厳禁ですね!

 

エピソード3:鶴喜の割りはし

今どきの割りばしは、紙のはし袋に入っている形式が多いです。

ところが、鶴喜の割りばしはセロハンでラッピングされています。

はしを取り出すときは、糸を引いてセロハンを裂いてはしを取り出します。

最近の割りばしは、はし袋の意匠に凝る方が多いですが、

昔は高級な割りばしタイプはこのセロハン付きでした。

 

 

エピソード4:エビ天のしっぽ

天ぷらうどん/そばですが、

ネギなどの薬味は小皿に乗って出てきて、それを本体の麺類にのっけ、

食べたエビ天のしっぽなどは、この小皿に乗っける様な気がします。

所が、「鶴喜」では薬味のネギが最初から乗ってくるので、小皿がありません。

更に、「鶴喜」のエビ天はエビが2本乗っています。

従って、エビの天のしっぽは写真のように、割りばしを包んでいたセロハンの上にサラリと乗せ、

うどんを食する方に専念します。

(これは、我が家のルールかなああ? そして、汚い写真で済みません)

 

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50年の付き合いとなると、エピソードは4点では語りつくせませんが、

夫婦でいろんな思い出でふけることができました。

 

 


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