新国立競技場について

2015.12.18

2020年のオリンピック開催に向け、今年は「エンブレム問題」「新国立競技場問題」では様々な事が提起されました。
 個々の問題については、国民感情や各方面の立場などがあるかと思いますが、建設業に関わるものとして考えさせられのは、「新国立競技場問題」がります。

 12月18日付け「日経ビジネス ONLINE」に、アレックス・カー氏(東洋文化研究者)清野由美氏(ジャーナリスト)面白い対談記事が載ってました。
 大変長い対談ですが、私なりに掻い摘んでお話をします。

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(日本人の景観に対する感度・態度が問題)
 建築業界を見回すと、1972年の田中角栄「日本列島改造論」以来列島改造ブームが起こり、土建国家と呼ばれるような公共事業に依存した国家運営が本格化した。巨額の税金が投じられ土木工事が生み出す利権を政治家と官僚が握り、建築業界も潤ってきた。そうして、それに加担したのが、建築業界で「巨匠」といわれる先生方であった。

 とくにポストモダンと呼ばれる先生方が下記のような建築物を作ったのであり、だれも反対・批判の声を上げて来なかったのは現実である。

  1997年に京都の駅舎が完成しました。京都と言えば、国際的に通用する日本観光のブランド的存在なのに、外国人が京都駅について京都駅舎を見て「ああ、あこがれの日本に来た!」と感動するか甚だ疑問である。

(今になって、サバ案を批判するのは偽善的)
 そのような建築業界の現状の中で、サバ案は神宮外苑の景観を壊すからダメという論調があったが、何をいまさら言っているのか?と思わざるをえない。

 建築のデザインについては、人の好き嫌いという要素はあるが「長い年月に耐えられるか」という視点は大変重要であり、出来たときに最先端な建築は陳腐化するスピードも速いということを理解しなければならない。
 京都のシンボルである駅舎のデザインに真剣な議論が出来ない人たちが、サバ案を批判するのは偽善的である。

(今回のトラブルの元凶は、文部科学省と「日本スポーツ振興センター(JSC)])
 本来 建築家なり、何なり、才能のある人に何か作らせる場合、それもコンペで競わせるなら、発注者にビジョンと到達点が発注者にあるべきである。
 ところが、マスコミの報道にも問題はあるのだが、発注者の責任より、なんとなく審査員会に責任を転嫁し、安藤さん個人を悪者にしてコトを収めようとしている。
 責任者不在の構図は日本の病理である。

(都市作りのビジョンの必要性)
 確かにサバ案は21世紀の都市にそぐわないような気もするが、これを機会に、中途半端なつまらないものを作らずに、時代にあった都市計画のビジョンを策定し、どのようにしたら「景観」を高め、そこの価値を与えることができるか、そのような細やかな検討をしなければ、永遠につまらない都市しか出来ないのである。

 

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以上が対談の内容ですが、今迄 日本人が作り続けてきた建物、街づくり、業界の常識・世間の非常識 なんて事を強く考えさせられました。

「新国立競技場」はゼネコンを中心としたの2つのプランが先日発表されました。

 新しいデザインは、法隆寺や縄文文化からヒントを得たとの事ですが、問題となった国民の税金を投入する事(総予算)と工期の問題だけでなく、「新国立競技場」を契機として、21世紀の日本や東京の街づくりコンセプトやビジョンが深まることを期待したいものです。

方、この富山でも 北陸新幹線が開通し、駅前から町中にいたる街づくりが行われています。
富山が大事にしなければならない景観は何だろうか?

つい、金沢と比較してしまいがちは私ですが、この富山と言う土地に生きる者として、富山の特性と景観を考え、幾世代の評価にも耐えられる「街作り」と「家作り」に少しでも貢献したいものです。
          
                               (記:小池英樹)

  


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